2017年6月17日

ショウケの里山添村の竹細工職人をたずねて

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「死ぬまで作り続けていたい。」

大分の若手竹職人がショウケの里、山添村にて60年竹に向き合って来た職人に出会う。
世代を超えた技術交流。想いは世代を超えて通じ合う。


山添のおじいちゃんが作り続けて来たのは、片口ショウケ。
おくどさんを使っていた時代、お米をとぐために使われていた片口の空いたざるです。

まず、竹を繊維に沿って「マサ割り」し、薄くはいでゆく。
この下準備にかける時間がテマヒマかかるのだといいます。


江戸時代から製茶で栄えた山添村では、かつては2軒に1軒が茶の農閑期にショウケをつくっていた一大産地だったそうです。

製茶が落ち着くお彼岸には、竹の水分が落ち、保存に適した季節となる。

竹を伐採し、10月くらいから冬から春にかけて、竹仕事を行う。農閑期の副業として生業を支え、「ショウケ御殿」とよばれる家が建ったほど、ショウケの生産が勢いづいていたのだといいます。

いまでは、1日がかりでようやく一個できるショウケの買い取り価格は2500 円。生業としては成立しないけれど、もはや手しごとは、おじいちゃんにとって食べる為ではなく、暮らしの一部としてずっとこれまで続けていたことを、ただただ習慣として死ぬまでやって生きたいのだということでした。

雨の日も風の日も、毎日作り続けたいのだという想いで桶を作っておられる熊野のおじいちゃんを思い出しました。死ぬまで続ける。それが、生き様なのだということ。


一方で、大分の若手職人、まっぽんさんが作るのは、現代の生活にあった竹のインテリア、鍋敷き、アクセサリーなど、おじいちゃんがつくる普段使いの製品とはちょっと違った繊細な加工が特徴で、おじいちゃんも興味津々。



そんなお二人の悩みは、昨今、いい竹がとれなくなってきているのだそう。
里山の整備がいきとどいていない放置竹林では、竹は密集し、太く丈夫に育たない。
さらには、ナタを通すスキマもなく、伐採ができないこともあるといいます。

いい素材をとるには、里山の整備からやらなくてはいけない。
アトツギがいないばかりでなく、良質な竹の材料も姿を消しているのでした。


山添村の古いおうちでは、玄関の土間に茶をわかすいろりが設置されている

この知恵と技は絶えようとしている。けれどこれを若い人が継いでいくにははたして1万円で売れるのかどうかという疑問にぶちあたる。

どうにか残したいというにはただ無力で、ただその手さばきを見ていたくて、暮らしの一部として手しごとがあった時代の職人たちの生き様を伝えることくらいしかできなくて...。

竹の間伐やら材料とりやら、せめて何かできることをお手伝いしていきたいです。

また、秋に材料となる竹切りと素材作りのお手伝いしてもらえる方を募ってゆこうと思います。



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