2013年12月6日

村のおばあちゃんたちと種会議(3)麦とソバ

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今住んでいる伊根町は日本昔話の民話のような世界。野菜や魚の物々交換。病気になった近所のおじいちゃんに毎日食事をとどけるおばさん。

そんな伊根に伝わる民話に、「そばとむぎ」がでてくる。

このあたりでは、弘法大師を「お大師さま」と慕う文化があるのですが、お大師さまが、麦に、「あの川を渡してくれ」と頼まれた時、麦は断りました。蕎麦に頼んだら、気好く渡してくれました。蕎麦はお大師さまを背負って川を渡ったから、足が赤くなりましたが、温かいうちに収穫してもらえます。一方、麦は、「一生雪の中におれ」とお大師さんに言われたそうな。


ムギも、ソバも、水田の裏作として育てられていたもの。

安い小麦が手に入るようになった今、麦を作る人は見当たりませんが、年越しに欠かせないソバは、今でもお米の後につくられています。



 
今も民話の世界のまま受け継がれる筒川の在来蕎麦


筒川そばの実

そして、麦。

作られていたのは、小麦と大麦。
それぞれ、違う用途に使われていたそうです。



大麦は、ご飯と一緒に炊いて麦飯に。
小麦は、粉にひいて、「のりやけ」というおやつになる。
昔はおやつがなかったから、ベーキングパウダーもなにもなしで、水と塩で練った小麦を焼いた。
ぺたんこのおやきができあがる。

粉に引くときは、ソバも麦も、村の粉ひきやさんに預けた。
ナタネの油を搾る「油屋さん」があったとか、
しょうゆやさんも、みそやさんも、豆腐屋さんも、昔はいろんなナリワイがあった。
みんなが少しづつできることをやって、支え合って生きていた。


どこに住んでいても欲しい物が買える今、百姓のナリワイが消えてしまった。
田舎には仕事がない。昔は、手に職を持って田舎で暮らしていた人がいっぱいいたのに。
いまは、田舎でナリワイをつくって、手に職をつくって暮らしていくのは難しい。



「子供の頃、よく麦踏みさせられたん覚えとる」、とおばあちゃんがはにかんだそうに話す。
「あんた、そんなことしとったんきゃ。うちは麦飯ゆうんはなかったな。」すかさず、別のおばぁがツッコミ。
「のりやけには、えんどう豆をいれたらおいしい」、「うちは卵をまぜた」
「地キウリは、赤らんでからな、炊いたらおいしいんや。うちら、赤らむ言うんやけど、若いうちは酢の物にして、黄色なったら炊くんや。これがうまいんやで。」
いろんなお話ししてくれました。おばあちゃんのお話は楽しい。


そんな中、最近旦那さんを亡くされたおばあちゃんがいて、仲間から「悲しんでばかりいたらあかん。楽しまなあかん。わたしもな、一人になったけど、おじいさんおらんから気にせんと、夜中までテレビつけっぱなしにできるようになったんやで~」って言われて、涙を時折ふきながら、会話に参加されていたのが印象に残りました。

お別れは、誰しも通る道かもしれない。そうだ。今を生きよう。


種が受け継いできた記憶のかけら。
その記憶をもっているのはほとんどが80歳以上。
話を聞けるのは、今しかない。


昔ながらのおやつ、小麦ができたら作ってみたいな。

種をまいて、収穫して、脱穀して、粉にひいて、おやつを作るとこまで。
おばぁちゃんの手仕事、受け継いでいけたらいいな。

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