2013年12月24日
ブータンの山村集落へ手種(てだね)をたずねて・・・(2)神様の贈り物―五穀豊穣と9つの種
タネを採りつづけること。
それは、お金には変えられない価値。
販売用の野菜は、安く買える海外からの輸入種子を使い、家庭消費用にはとっておきの野菜を食べるために、市場に出回らない種をまくのです。
「おいしいから、家庭の味を守るため」以外で、種を保存するもう一つの理由-。
それは、 かみさまへの捧げもの。
■タネはいつからタネになるのか?~命の始まり~
作物の種がこの世界にもたらされたのはいつか。
それは神代にさかのぼるわけですが、面白いほど世界のあちこちで共通する神話があります。
まずは、ギリシア神話のデメテル。麦を地上に授けた豊穣の女神。
古事記の食物神、大気都比売神(おほげつひめのかみ)がもたらした蚕、稲、粟、小豆、麦、大豆。
日本書記でツクヨミに殺されたウケモチがもたらしたのは、牛馬、粟、蚕、稗、稲、麦・大豆・小豆。
インドネシアのハイヌウェレの神話では、屍からいろいろな芋が生まれたとあります。
デメテルはちょっと違うけど、食べ物をもたらしたのは女神様。
排せつ物から食べ物を生み出す神様が殺されて、死体から種が生まれたという神話は、東南アジア、オセアニア、南北アメリカ大陸にも共通するのだそうです。
女神の屍が大地に帰するとき、種が生まれた。
ちょうど、家畜や人糞を蒔いた畑から、自然に発芽する作物の種のようです。
そして、死の国、冥界にいってしまった愛する人を連れ戻そうとするあたりも、ギリシア神話、オセアニア神話、日本のイザナミの物語と共通するのです。冥界の食べ物を食べたら、帰れなくなってしまうところとか。
あまり書くと脱線してしまいますが・・・
「死は、再生の始まり。」
チベット仏教では、死から再生の境を「バルド(中有)」と表すのですが、バルドには段階があり、死の瞬間のチカイ・バルド→存在本来の姿のチョエニ・バルド→再生に向かうシパ・バルド)へと向かう期間が49日。
死の瞬間に、魂のエネルギーがぴかーー!って 光って(光明)、生命が一番輝ける瞬間なのだそうです。恐れるものではなくて、死と再生は神様からの贈り物って考えるのがチベット仏教なんですね。
食物起源からちょっとずれるかもしれませんが、ブータンでチベット仏教の教えの中で生きる人たちと接することで、 私にはどうも、もっとも命のエネルギーが輝くバルドの状態にあるのが、作物でいうところの「タネ」なんじゃないかと思えてきたのです。
人間と違って、作物のタネの休眠期間は49日どころではありませんが・・・。
なんか、小難しいはなしはさておき、
つまり、簡単にいうと、タネって命のエネルギーがめっちゃつまってるんだってこと。
■神様がくれた五と九の穀物
日本書記や古事記、延喜式にでてくる五穀豊穣の「五穀」は、時代によって変わってくるのですが、稲、麦、粟、稗、豆。中国の五行説から来ていると言います。
インドやブータンでは、神様から授かった作物を、「九穀」で表されるのです。
私が以前研修していたインドのオーガニック研究所、Navdanyaは、nice important cereals 「9つの主要穀物」という意味が込められています。
ヴェーダの思想でしょうか。
「9」という数字は、天体や宇宙の流れと関連するようです。
1.大麦-太陽 Aditya
2.雑穀-月 Chandra
3.キマメ-火星 Mangala
4.緑豆 -水星 Bhuddha
5.ひよこ‐木星 Brihaspati
6.米-金星 Shukra
7.ゴマ-土星 Shani
8.ツルアズキ-月の昇交点 Rahu
9.ホースグラム-月の降交点 Ketu
それぞれ、神様の名前なんですね。
ブータンでも、9つの作物が天の贈り物として、儀式用に育てられたりしています。
Dru-na-gu =9つの主要作物
稲、とうもろこし、小麦、大麦、そば、雑穀(粟、シコクビエなど)、アマランサス、マスタード、豆。
やっぱり9なんですね。
日本では、9って、「苦」と似てるから、病院では避けられたりしますよね。
でも、実は、とっても活力の高い数字なんですよ。
それに気づいたのは、生け花の教室でした。
注連縄(※しめなわ)って、「七五三縄」とも書くのをご存知でしたか?
※しめ=占、〆
七五三野(しめの)さんとか、七五三木(しめぎ)さんって名字もありますが、結界をあらわす言葉。
天皇がその昔、狩りをする場を一般の土地と区別して「占野(しめの)」と読んだそうです。
7+5+3=15
7,5,3を足した15は和合の数字となります。
奇数は 陽数とされ、「華道活の数」は奇数が用いられます。
何が言いたいかというと、
「9」という数字は、陽数の中で最も大きな数字。
「至高至貴の数にしてすべてのものが始まる意。」
と表現されています。
日本では、五穀とか、十穀とは言っても九穀というのはないけれど、おめでたい数字ではあるわけです。
■かみさまへの捧げものとたねとり
山の民と海の民では、供物も全然違うわけですが、私が住んでる京都府北部の村では、「苗めし」といって、田植えの時に苗の中ににおにぎりをくるんで先をくくり、家に持ち帰って神棚に供える儀式があります。
お酒、お米、塩は、神様に備える主要なアイテムですが、どぶろくを大地の神様にささげる儀式はブータンにもあるのです。
Dru-na-gu、九つの穀物をそれぞれ袋に入れてお供えする儀式のためだけに作られている普段は食べることのない作物もあります。
日本においても、神事に使う古代米、盆の精霊棚に飾るミニチュア野菜。
ラッキーなことに、ちょうどお盆に新潟の市を訪ねたとき、一年に一日しか出回ることがないという貴重な作物の種に出会うことができました。
古来から神事(仏事?)に使われる植物があるということ、それらを維持してきた民が存在するということ。色とりどりの作物がずらりと並ぶ市に出会い、その儀式のためだけに守り伝えられてきた供物たちにすっかり魅了されてしまいました。
関連記事:新潟の古い市と「テダネ」探しの旅(1)盆市に見る地ナスの継承
神様へ捧げるかけがえのない供物は、今でも自家採種により受け継がれてきたのです。
九つの穀物をブータンでは具体的にどう使っていたのか、今となってはわかりません。
あの時、もうちょっと民俗学の知識があればなぁ~!
・・・と、過ぎてしまったことですが、何気なく見過ごしてしまったたくさんの興味深い伝承がもっともっとあったなぁ、と、知れば知るほど、わかっていなかったことが悔やまれるのでした。
今日は、ブータンの村の話があまり出てきませんでしたが・・・
(また、つづきます)
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