2014年1月25日

60年に一度花を咲かせる竹に想う、生きるということ。

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竹の花をみたことがありますか?
イネ科だけに、稲にそっくりです。

竹の仲間には、モウソウチク、マダケなど、いろいろな種類がありますが、花を咲かせるのは60年から120年に一度だけ。
その幻の実はお米と同じような味がするのだとか。


Source:Bamboo Garden

生命には周期があります。
タネから芽がでて、成長して、子孫を残し、老いて、枯れていく。
ニンゲンでも同じです。
竹の周期は、品種によって違いますが、60年から120年といわれています。

このことを最初に知ったのは、京都の竹工芸の職人さんを訪ねたときでした。
マダケが真っ白い花を咲かせるのは120年に一度。花を咲かせた竹は、一斉に枯死する。
そのときに、茶色いシミができるのだが、その竹を「シュミ竹」と言って高値で取引されるというのだ。

120年に一度しかとれない竹。古民家の一部として、眠っていることも多い。
古民家が解体されるとき、竹材商は、こぞって建材として使われていた竹を見に行くのだ。

囲炉裏でいぶされた独特の味わいのある「煤竹」。
お茶の世界では、風情あふれる趣の有る道具として重宝される。


竹は、切っても、切ってもたけのこが伸びてくる。
根っこで増える植物。ふだん、タネを残すことはない。
なぜ、60年に一度、花をつけるのだろうか?

根っこで増えた場合、遺伝的には単一になる。異なる血が入る余地がないわけだ。
環境に変異が起こったとき、生き残るには多様な遺伝子を獲得する必要がある。
花を咲かせ、遺伝子を更新し、自らは絶えて行く・・・

そんな話を聞き、ふと、竹の事を思うようになった。
人の人生も80年ほどの周期で終わる
でも、きっと、それは、終わりじゃない。
人が生きた証はどこかに残る・・・
遺伝子の中に記憶は受け継がれていくのだ。


短い人生の中で何を残せるだろうか。
膨大な遺伝情報の中には、大量に意味のないコードが書き込まれている。
もしかしたら無意味なコードは何かの時に切り札になるものかもしれない。
すべてが、つながっていくために、すべてのものが必要とされている。
この世にいらないものなんてないのかもしれない。

竹の花は生き残るために巧妙に仕組まれた自然の英知。
バラや椿のような派手な姿でもなく、風になびいて、しなやかに曲がる。
それでも、すーっと一本の芯が高くとおっている。

何でみとめられないのだろう?
そんな傲慢な考えがふと沸いたとき、黙って目を閉じて竹林を思い浮かべる。
すると、心の中に静かな風がそよぐのが見えるようになる。

竹のように生きよう。
しなやかに、柔軟に、でも、空高く芯を通す竹のようなニンゲンになろう。
60年後、花が咲いたらそれでいいじゃないか。

竹がおしえてくれたこと。
暮らしへの向き合い方。

植物はほんと、いろんなことを教えてくれる。


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