2013年11月8日
ホームガーデンに見る植物民俗学(2)五木村の多様な焼畑のカタチと伝統的知識
五木村の旅の続き。”焼畑をやっていたころの五木赤大根はもっと真っ赤で、柔らかくおいしかった。形はもっと丸みをおびていた。焼畑をやめてから、色が薄くなり、固くなっていった。”
と前回の記事で書きました。
ホームガーデンに見る植物民俗学(1)五木の赤大根を探しに熊本へ
五木赤大根の形質の変化・・・。
これって、焼畑の影響なんでしょうか?
焼畑の後、2年目に自然と生えてくるという山茶 |
1年目ソバをまいたら2年目はヒエ、キビをまく |
■いろんなコバサクのカタチ
●コバとヤボの違い
五木村では、焼畑をコバサクと呼んでいます。
面白いのは、多様なコバの形があること。
前回、畑といえば、昔は「焼畑」(コバ)を指し、常畑は「畠」 (コヤシ)と書いて区別されていたと書きました。プラス、水田=タンナカがあります。
なぜ、コヤシというのか?焼畑には、肥えをやらなくてもいいけど、常畑には、堆肥を運んで行かなければ育たないかららしい。
呼び方に昔の暮らしが垣間見えて 面白いですね。
コバのことを別名、ヤボ、ヤブとも呼びます。
ヤボは、そんなに大きい木を切り倒さず、ヤブになってる荒地をヤボ伐りして、夏焼きし、ソバや麦を植える。
ヒエはコバでしかできないと言われる。
コバというと、通常は、大きな木を「キオロシ」しないといけない大作業。
木の周りに塩と米をまいて安全を祈る。
面白いのは、呪文を唱えて、お酒を地面にちょっとこぼすんですが、
この儀式、ブータンにもあるんです!。大地の神様を鎮める儀式。
コバの後は、30年ほどおいて、回復を待つ。
●地質に対する村人の認識と植える作物
火を入れて1年目に蒔く作物によって呼び方が変わります。
- ソバコバ
- ムギコバ
- アワコバ
- ヒエコバ
- ダイコンコバ
アワやムギは日当たりのよい(ヒアテ)もっとも好条件で肥えたところで育つ。
地主さん(ダンナ)の土地になっていることがおおい。
ヒエは、高度の高いところ、日当たりの悪い場所(ヒゾイ)に植えられる。
「ヒエはキリで育つ」と言われます。
キビは焼畑でなく、常畑(コヤシ)で育てられることが多い。なぜか、キビコバはないようだ。
ダイコンは、コヤシでも育つ。
アワ、麦は土地のいいところで育つので、豆は輪作体系に入らないこともあるが、
だいたい、穀物→豆→根菜類 のサイクルで植えられる。
面白いのは、ヒアテ、ヒゾイと、日当たりの具合によって土地を使い分けていること。
地力の高い土地には、イモ、粟、黍、麦を植え、地力の低い土地には、豆を多用している。
マメが肥やしになること、昔から知られていたんですね。
そして、ブータン、東南アジアの他の集落にも共通する知恵なんですよ。
ちなみに、豆は豆でも、焼畑のときに蒔くのがアズキ、水田の畔に使うのは大豆。
これも、ブータンでもそうでしたね~
大豆は、ウサギなどの獣が食べてしまうのだそうです。
かつて焼畑が行われていたブータンの高地集落。 |
●季節による焼畑の違い
焼畑というと、夏のイメージでしたが、春焼き、夏焼、秋焼きの3種類ある。
アワコバは、春焼き。
山茶の あとは、5月頃、早生をまく。
ムギコバのあとは、6月末~7月に、晩生品種を蒔く。
おなじアワでも、早生、晩生を使い分けているんですね。
ブータンでも、1つの村で、4種類のトウモロコシを使い分けていました。
ソバは、夏焼き。
麦は、秋焼き。
■焼畑が維持する多様性
さて、焼畑がなくなってまっかな大根がとれなくなったという話。
農家さんの認識では、山の上で育つ大根は赤い。
焼畑をやめたら常畑ではコヤシをやらないと育たなくなった。
おもしろいことに、ブータンで約60の村を調査していたとき、同じ言葉を何度聞いたか。
焼畑でないと、雑穀はうまく育たないと、彼らも言うのです。
自給的に野菜を育てるなら頑張って肥料も与えるけど、
米がとれないから仕方なく食べてた雑穀に、そこまで苦労して育てても・・・
という感じでしょうか。
焼畑は、大掛かりな作業が必要だけど、トータルで見ると、害虫もすくなく、肥料をやらなくても大きくなるので、作業効率はいいのですね。
共同作業がなくなった今になると、1家庭ではもはや成り立たないのでしょうけど・・・。
高地でそだてられてきた赤大根は、いまや、 山で「畑」をする人はなく、
赤の色はうすれてしまった・・・
アワ、キビ、ヒエも、家庭菜園で少し見かける程度。
それでも、昔からの種が残っている五木のような集落は日本にはもうあまり残っていない。
ほんと、焼畑は、民俗的知識の宝庫だなぁ。
あぁ、色んな地域の焼き畑が見たい。
ブータンでも焼畑禁止令がでて以来、見れなくなった。
雲南、ラオスあたりではまだやってるみたい。
なくなってしまう前に見に行きたい・・・
■ホームガーデンに見る種の多様性
山間集落で種探しに出かけるようになって、思うこと。
たねとりは、今の効率化された農業には適さない遅れた手作業かもしれない。
在来種といっても、本来の姿ではなく、大量生産、均一栽培に向く形に改良されている。
本当の在来野菜は、ほとんど化石になってしまった。
でも、山間部には細々と受け継がれてきた種が確かに残っている。
お金のため売り物にするためではなく、その味を絶やしたくないがために作られてきたもの。
そう。ほとんどの在来種は、家庭菜園(キッチンガーデン、ホームガーデン)で、自給的に作られているのです。
だから、農家さんをあたってもまず種は見つからない。
役場にきいてもまず何も知らない。
普及員ですらしらないのである。
忘れ去られたレリクト・クロップ(残存植物)は、70代、80代のおじい、おばあが守っている。
誰にも気づかれないい場所で。
私には、そういう物語に、あたたかいシンパシーがわくのです。
出会った時の感動を生涯のライフワークとして伝えていければいいなぁと思います。
今回、五木でわけていただいた黍の種。
縄文時代からこれを使ってたんだよ、と教えてくれました。
来年はこれを頑張って育てよう。
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前回記事:
民族植物学(1)貧しい家は娘を百姓に嫁がせた
民族植物学(2)伊根に伝わる聖地青島の妙薬
民族植物学(3)天然の植物マニキュア
五木赤ダイコンは根も葉もトウも赤い!
ダイコンのたねとりまとめ
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ダイコンの起源と在来大根コレクション
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