2015年6月22日

農ある暮らしを訪ねる旅(9)「焼畑のむら」椿山を訪ねて

2 件のコメント :



焼畑の民が生きた集落、高知県の椿山に来ています。

焼畑研究会のメンバーで事前に福井先生「焼畑のむら」を読み、民映研のドキュメンタリーを見て、イメージを膨らませていました。

民映研「日本の姿」
http://www31.ocn.ne.jp/~minneiken/nihonnosugata.htm


そこには、時を超えた想いと出会いのドラマがありました。
失われつつある普通の暮らし。

歴史には、すごいことをした偉い人とか、作家とか政治家とか影響力のある人しか残らないけれど、普通に生きた人が何を大事にしていたか、どういう技術をもっていて、何を食べていて、何を着ていて・・・そういうことが歴史となる。

受け継ぐということ。一の一生は短い。
でも一人のひとが生きた営みは確実にその地に何かを残している。

聞き書きは、それを記録して伝えること。
みんなが聞き書きできるようになろう!という趣旨でサークルを作っています。

さて、椿山集落、いままでに訪れた村のなかでも特に印象深い集落でした!

焼畑の民の自然に対する認識はすごい。
現代のテクノロジーや技術ではとってもかなわない知識量。

土地の名前を色や地形、土壌水分量、方角、日当り、植生などで分類していて、
30年に一度火をいれるのですが、
火を入れてはいけない場所、どこに火をいれると延焼しないか、30年のサイクルを考えるのです。

焼畑は毎年焼く場所を変え、30年でひとつのサイクルになります。
子どもの頃にお父さんが焼いていた場所を自分が30代になったころに焼く。
そして、次に火を入れるのは60歳。
3回焼いたら一人の人生になる。
焼畑の民は、100年後のサイクルを考えると言います。

そして、作物だけではない防災の知恵。
蔵のつくり。
石垣の積み方・・・。
とても印象深い集落のつくりです。


山沿いに茶畑がぽつぽつ広がる。
みょうがが混植されていて、半栽培に近い。










現在1世帯となってしまった今でも「虫追い」が続けられ、その日はどこからともなく、多くの人が集まります。

ヒエやキビにつく虫を太鼓やお囃子で追い払い、「音に付いた虫」を旗や草履、笹とともに川に投げ込んで流します。





山間集落では、ヒエは何100年も保存できる備蓄作物で、村の蔵には今でも子孫のために保管されていると聞き、虫追いで会ったおばあちゃんに案内してもらいました。

蔵に入ると「日恵(ひえ)」と書かれた札が貼られ、先祖代々受け継がれて来た俵がいっぱいに積まれていました。




先祖が残してくれたものだから・・・蔵には捨てられない想いが詰まっているのです。
 サンプルにいただいたヒエ。一粒でも発芽したらうれしいな。




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2 件のコメント :

  1. 故郷の記事掲載ありがとうございます。人の住まなくなった建物の朽ちる速さに驚いています。なお、トップの写真は椿山の一つ手前の大野(赤い橋を渡った所)だと思います。

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    1. ご連絡ありがとうございます。ご出身でいらっしゃるのですね。
      写真の訂正もありがとうございます。

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