2012年12月1日

集落に一つあった油屋さん

0 件のコメント :
「昔は作っていたけど今は作られなくなった作物って何ですか?」

近所のおばあちゃんに、昔野菜を作りたいんだ、という話をしていて、出てきたのが、

「アブラナ」


アブラナは、そこらじゅうで栽培していて、油をとるためだったのだという。
戦後作らなくなったけど、戦時中に奨励されて作っていたそう。

聞けば、昔は各地区にひとつ油屋さんがあり、海に近い集落では、魚油を、山側では、菜種やゴマ、ハゼのみを使っていたようです。

海側の集落では、イワシなどの魚は釧路に持って行き、釧路で肥料や油に加工し、持ち帰ったという話が伝わっています。
また、鯨やイルカも、「鯨舟屋」と呼ばれる小屋で油を絞り、肉や油を販売。
残った筋は、三味線などの弦に加工するため、大阪の問屋に持っていった。
そして骨は、青島の仔鯨の墓に安置されています。


そして、ちょっと変わっているのが、ハゼのみ。

伊根の旧油商、油屋八郎兵衛さんのお宅では、漆にもなるハゼから油をとっていたそうです。
ハゼの実は、和ろうそくの原料として知られますが、油としても、貴重な原材料でした。

ご近所さんには、油を絞り終わった搾り粕で和ろうそくを二次副産物として作っていた方もあるようです。

ハゼが和ろうそくとして使われていた記録はありますが、ハゼの油商として財を成したというのは珍しい例だといいます。

ハゼは菜種油よりも高級品で、武家に好まれた。
北前船に積み、西は出雲、東は能登半島へと油商は旅した。
八郎兵衛さんのお屋敷には、江戸時代の骨董品がずらりと並んでいます。
上流層との交流が盛んだったわけですね。


植物の利用方法は、探っていくと奥が深くて面白いです。

0 件のコメント :

コメントを投稿