2012年4月14日

マツタケ山は必要か?電気柵は必要か?

0 件のコメント :
耕作放棄地の開墾に飽き足らず、森に進出です。


本来、里って自然と人が共に暮らす場でした。昔はマツタケがいっぱい取れたのは、人が里山に手を加えていたから。薪を切り出し、有機物が土に貯まらなくなり痩せていくと共生菌であるマツタケが生える。ところが、電力に切り替わった今、薪を使う必要がなくなり、有機物は土に堆積するようになった。肥えた土地にはマツタケは生えないのである。マツタケを高価で手の届かないものにしたのは人間なのです。


「昔は畑やってたけど、サルに全部もってかれるで、農業はやめた。ばかばかしい。買った方が楽だし安い。」

こういう声がよく聞かれる。山が荒れると、イノシシやサルは里を我が物だと思ってしまうのである。野生動物が人間に追いやられてる、保護しなきゃ!ってゆーよりも、人間の住む空間が、野生動物に取られて行ってる逆転現象のように思います。

じゃ、マツタケの生える里山は必要なんでしょうか。山の手入れは必要なんでしょうか。「里が荒れている」というのは、人からの見方であり、人の手が入らなくなって野生に返ればいいのではないか?という見方もあるかもしれません。

思うに、里山は自然の領域と、人の住む領域の境界だった。ここからは人の空間、入ってきちゃだめよ、と獣に教えるための場所。それがなくなって、いきなり町にイノシシがでてくる。人が頻繁に山に入って手入れをしていれば、ここから先は行くのはよそう、と獣は危険を察知して避けるのである。

ブータンでは、電気柵なしで作物を育てられているのは、人間の存在感をアピールしているからである。収穫期には畑横の古屋に飼い犬を連れて寝泊りする。柵のかわりに、においのきついレモンバームやとうがらしを植えて大事な作物を囲うのだそう。中でも、犬を連れて散歩すると、においがつき、それが境界線になるのだ。


日本の山間部で電気柵なしで農業、ってのはちょい冒険だろう。サルが家の中まで入ってくるくらいの伊根では特に。けど、電気柵は、正味イノシシくらいしか防げないし、サルはいずれにしても飛び越えるのだから、やられるときはやられる。そしたらあきらめるしかない。いや、あきらめといったら聞こえがわるいけど、自然のままに受け入れるのだ。


そんなんで食えるか、という声が聞こえてきそうですが。耕作放棄地の開墾と同時に山に入り、「里山」の再生を試みることにしました。果たして、山に入って獣に人の存在感を見せつけるだけで、電気柵なしに無事十穀田は育つのでしょうか?

と、いうわけで。ブログのタイトルを農業だけでなく、「週末農林業のススメ」としてます。

ま、仮説がはずれれば収穫なしになるってことで笑。こうご期待!



にほんブログ村 海外生活ブログ ブータン情報へにほんブログ村 環境ブログ 有機・オーガニックへ

0 件のコメント :

コメントを投稿