2016年5月17日

熊野・高野山への旅〜コウヤマキに生き方を学ぶ〜

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変わらないという自由

主に関西でお供えに使われるコウヤマキ。お大師様が、派手な花を使わないよう、コウヤマキをお供えするように言われたそうです。

高野山には保安林があり、コウヤマキが群生している。露天では、お供え物として、また、苗木も販売される。

この木が世界的に見ても貴重なものだと初めて知りました。





第三紀、インド、アフリカプレートが移動し、ヒマラヤ山脈ができたころ、ヨーロッパにも分布していたというコウヤマキは、化石としてみられるのみ。こうやって生きている植物としては、日本と済州島の一部でしか見られないそうです。


学名 Sciadopitys verticillata
マツ目コウヤマキ科コウヤマキ属

1科1属1種、コウヤマキのみ、枝分かれもなく、単独で存在している。
驚くべきことに、化石としてのこるDNAとほとんど変わっていないようです。




コウヤマキぼっくり



植物は、動物と違って動けない。だからこそ、環境の変化には敏感だ。

鹿に食べられないように、虫に食べられないように、日陰になっても、洪水が起きても生き残れるように。DNAは変化し、生きのびるための知恵を遺伝子に刻んでいく。


ある者は、食害に対抗するために毒をもつ。
ある者は、鳥に種を遠くに運んでもらうために美味しい果実を実らせる。
ある者は、集団で生きることを好み、ある者は、単独で生きることを好む。

生きる環境を変えるために動ける動物よりも、植物はよっぽど表現が多様で個性的だ。


そのなかで変わらないものがいるとしたらよっぽど頑固だ。
絶滅の道をたどろうと、何千年でもまつ。また環境がかわって、生きれるようになるまで。それでも、変わらずにいるメリットはなんだろうか。



自分がかわるのではなく、世の中がかわるのをひたすら待っている。
影になったのなら、覆い被さってる大木がやがて枯れて、光がさすまで何千年でも待ってる。そしたらやがて、自分の芽が光に届く。


コウヤマキはいっさい変わないという自由な生き方をしているように思う。



世界中で絶滅したコウヤマキはなぜ高野山に群生しているのか。


コウヤマキは、世界中で絶滅したまさに生きた化石。
高野山六木(ヒノキ・スギ・モミ・ツガ・アカマツ・コウヤマキ)のひとつ、
なぜ、高野山には群生しているのか、高野山大学の方に聞いてみました。


昔は、全国にあったコウヤマキは、建材として使われたりして絶えてしまった。
高野山は、聖地となり、いまでも私有地がなく、木を切ってはいけないとされている。
標高が高いのでもともと針葉樹が多く、800年前とかわらない六木が今でもある、とのことでした。

奥の院へと続く道には、思わず息をのむ針葉樹の森が広がっていました。








外国人に学ぶ針葉樹の美しさ


仕事柄、海外の方とお話することが多い。日本人は聞かないようなことを聞かれたりする。当たり前にそこにあるものについて、深く考えるきっかけをもらった。

「まっすぐに伸びる木を初めて見た。」

針葉樹が素晴らしく美しいと釘付けのフランス人。


人工林のスギ・ヒノキは花粉症になるばかりで、田舎じゃ植えたはいいけど搬出もできないやっかいものだったりする。

でもそれが、独特の景観を作っていたり、自然と人が生きた接点だったり、森林セラピーとして重宝されていたり。
そしてなにより、まっすぐにのびる木は美しい。

広葉樹は広葉樹のいいところがあって、針葉樹にもそれぞれ役割がある。


森という字は、よくみると、上には横に長い木が、左下には縦長の木、そして右下の木は、正方形。それぞれ育つ環境が違う木がそれぞれの個性を表現して森になるのだそう。

広葉樹の森が好きだったけど、どこまでもまっすぐに伸びる針葉樹が美しいと思えた。




空気を読むということ。


日本社会では、空気の読めないやつはKYだと言われる。
ひたすら型に押し込めて、背の高さを合わせて、標準値からはずれないように。
流通の都合にあうように、箱のサイズにきっちり野菜を育てることが美とされる。
長過ぎたり、短すぎたりすると、規格外で値がつかない。


でも、森の木や自然は、そんな基準なんておかまいなしに自分が生きる基準をつくってる。


大きな木の幹を住処にするラン。
よりかかってよじ上っていくツタ。
この植物はどう生きたいのか。

それぞれの個性的な生き方がおもしろい。





空気を読むことが美徳とされる世界よりも、空気を読まなくてもよい空気が私は好きだ。


今年、10年勤めた仕事を辞めた。大きな機械のねじをつくるよりも、小さくても真っ白なキャンパスに絵を描いてみたかった。

オランダをはじめ、海外の生活では、ひとりひとりが何かのスペシャリストであるように求められた。人がどういっているかではなく、前例がどうだったかではなく、自分はどうしたいのかが問われた。
だけど、日本に帰って来たとき、自分の領域がなかった。規格に前例に縛られ、箱に押し込められるのが息苦しかった。

ちっちゃなことかもしれないけれど、自分にとっては大きな転機だった。
でも、やめてみたら、やっぱりちっちゃなことだった。

「よく清水の舞台から飛び降りたね」と昔を知る仲間からは多々言われる。
でも、飛び降りたという感覚はない。
むしろ、飛び立ったのだと思っている。

合わせなくてもよいのだよ、自分は自分でよいのだよ。
コウヤマキが語りかける自分であるということ。

この高野山の空気が清々しい。



今日は長くなりました。

高野山大学にて。すこし、密教のことを勉強して来ました。

民俗学をやっていると、自然観と民俗の生業、そして植物のこと、食のこと、いろんなことが信仰が起源になっていることがおおい。

宿坊の方や高野山大学の方にはいろんなことを教えていただきました。
この間、いろんな旅をしてきて、見て来たことをちょっとづつ、書いていけたらなあと思う。


チベット僧がつくってくれたという砂で描かれた曼荼羅





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