2014年2月2日
民俗建築学と民族植物学~食べるコト・暮らすコト・生きるコト~
「建物がなくなれば文化が消える」在来作物も、在来建築も、どこか通じるところがあるなぁと思う今日この頃です。
今年1月より、京都市文化財マネージャー(第6期)を受講しています。
ヘリテージマネージャーというのは、文化財の登録や価値の評価、保存、活用にかかわる文化財のもりびと。
全国的には、だいたい県の建築士会などが養成講座をひらいている事例が多く、建築士の資格がないと受講できないのですが、京都市の場合、多角的な視野で古民家の活用を図るため、資格を問わずだれでも参加できるのです。
わざわざ東京や四国、名古屋からも泊りがけで受講されている方もおられました。
職業も、建築、設計、不動産、コンサル、百姓、芸術家など幅広い。
講義と演習は実践的で、終了後は、古材文化の会の「伝統建築保存・活用マネージャー」に登録すると、歴史的建造物の調査や保存・活用に携わることができるようです。
もってるだけで終わる資格が多い中、活かせる道があるのはとても実用的ですよね。
今日の講座は、(1)住宅建築、(2)文化財保護法、(3)日本庭園
の3本、各2時間でした。
くわしくは、
古材文化の会 http://kozai.or.jp/wp/
文化財マネージャー上級コースでは、さらに、(1)評価・鑑定コースと、(2)保存・活用コースにわかれています。
それぞれ、古民家の価値を評価して、文化財登録の申請にかかわりたい人、町家をリノベして実際に活用していきたい人が対象。
これから、講座を受講して感じたことなどをつれづれに綴っていきたいです。
■民俗建築学
民俗学には、衣食住にかかわること、言語、儀礼、社会組織などいろんな分野がありますが、「民俗建築学」というのもあるのですね。
先日、重要伝統的建造物軍保存地区に選定されている伊根浦舟屋群の調査に同行させてもらいました。
「柿渋をどこから手に入れてましたか?どうやって保存してましたか?」
一見、建築と関係ないようなことを家主さんに質問されていたのが印象的でした。
屋根裏に保存してあるもの、伝聞、言い伝えも貴重な資料なのだといいます。
民家を調査するときに、「野帳」といって、屋根の形や素材、寸法、棟札、気づいたことを書き留めていくのだそうです。
民具や、建造物のサイズ、図面を書き取り、収集したとしても、
モノは保存できても、その建物や民具の由来、使われ方、文化的価値は、それをよく知る住人が死んでしまったらもう二度と記録することはできなくなってしまいます。
上級コースが2つに分かれているのは、純粋に民家を評価する鑑定士と、公的文書では明らかにされていない伝聞を聞き取り、その背景にある文化的価値を評価する人、2つの方向性が必要だということです。
冒頭の、「建物がなくなれば文化が消える」というのは、作物の種にも置き換えられることです。
いくら、山間部をまわって種を収集できたとしても、その背景にある物語が消えてしまえば、ジーンバンクで保存してあるようなコードでしかなく、その地に生きた人たちが種を継いできた思いや、利用方法、文化的意義はやがて忘れ去られてしまうのです。
ジーンバンクにある種は、主に、育種素材として利用されています。
在来の作物の中に、必要な形質が備わっており、やがてその形質が重宝される未来がくるかもしれない。その膨大なコレクションは貴重なものです。悪く言っているわけではありませんので、念のため・・・
保存か、活用か。
種の未来と古民家の未来が重なる方向性です。
食と建築の関連については、たべものをつくるための建築について書かれた「食と建築土木」という本が面白かったです。
後藤治他「食と建築土木」LIXIL出版、2013年 |
現代の資産評価で言えば、20年以上たった木造建築は資産ゼロ。ただのごみです。
100年以上たった建物が立派に現存しているのに。
プレカット、2×4の簡易な住居は、そのファミリーの必要性に応じてカスタマイズされる。
間仕切りは簡単に変更できない。
家族の形態が変われば、また作り直すのだから、20年しかもたなくていいのだ。
一方で、古民家は世代を超えて使えるように、多機能性を持ち合わせている。
襖をはずせば大広間になったり、柔軟にレイアウトを変えることができる。
居住空間の変化は近代に急におこったわけではなく、いつの時代にも流行がありました。
平安時代の寝殿造、庭は浄土式。中世の書院造に庭は枯山水。
近世には茶式の数奇屋がでてきて、茶庭が流行し、
近代からは椅子座が導入され、洋式化が進む・・・
古民家といっても、年代によっていろいろなんですね。
人が何を一番大切に思うのか、それも、時代とともに変わっていく・・・
お客さんをもてなすことを第一に考えていた時代。
客間は、南向きの一番いい場所にあり、家人の部屋が奥にありました。
しかし、明治の洋式化以降、お客さん本位の家作りから、家族本位の住宅へと変わっていったとのことでした。
高度経済成長期。物質の豊かさを求める時代へ入り、
どんどん単一の規格、効率化が求められるようになってきます。
大量にモノを買い、消費、所有することがステータスでした。
そして、モノの豊かさで満ち足りた今、そこにしかない価値や物語に光があてられるようになってきたように思います。
タネは外国で生産したものを輸入するのが当たり前となっています。
自分で採種するより明らかに効率的だから。
全国どこでも売られている野菜は同じことが普通でした。
ところが、いまになって、在来作物の運動が全国でおこってきています。
誰がどう生産した商品なのか、知る由もないことだったのが、
どういう人が作っているのか、どういう思い出生産しているのか。
金太郎飴みたいに、全国どこでも同じ風景、食べ物だらけになるのではなく、
どんな人がその商品を売っているのか、なぜ、それを売っているのか、
そっちのほうが面白いことに気づき始めたんですね。
とはいえ、時代の潮流も、景気に左右されるのが経済と切り離せないところ。
稲作が盛んになり、忘れ去られた「稲作以前」の作物たちのように、
どんどん在来のタネが姿を消しています。
固定種を収集するだけなら話は早いのだけど
私が本当に引き継ぎたいと思っているのは、その背景にある在来知であったり、伝統農法であったり、利用方法であったり、種に刻まれた人が生きた証なのです。
山奥に住むおばあちゃんの家を訪ねて考えたこと。
それは、「食べること」、「暮らすこと」、「生きること」はつながっているということ。
冬の間腐らせずにタネの保存ができたのは、囲炉裏があったから。
夏の間、通気性のある在来の民家だからこそ、カビが生えなかった。
多機能性があったからこそ成り立った百姓の暮らしがあった。
古民家と種。
それぞれ別の物語のようで、つながっているものなのです。
授業の感想というより、ぜんぜん違う内容になってしまったかもしれませんが・・・
この講義は、隔週で7月まで続きます。
思い立ったらまたタネと古民家について書きます。
(たぶんつづく・・・)
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