2017年4月25日

ならいごとの旅 in 台湾(11)パイワン族の粟と紅藜にみる種への信仰

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“Though I do not believe that a plant will spring up where no seed has
been, I have great faith in a seed. Convince me that you have a seed
there, and I am prepared to expect wonders.”(Henry Thoreau)
"雖然我不相信 沒有種子的地方 會有植物冒出來 但是,我對種子懷有大信心。若能讓我相信你有一粒種子, 我就期待奇蹟展現。"(享利梭羅)
「タネがないところには植物が生えることはないと信じているけれど、一粒の種子に大きな信頼を寄せている。一粒の種子を持っていれば奇跡もおこることを信じている。」(ヘンリー・ソロー) 





竹富島の豊年祭にも共通する粟を奉じるお祭りがある原住民族にとってタネは神聖なもので、シードセンターとなる家庭が各部落に1人はいて、代々タネを受け継ぐとともに、隣りの集落と種苗交換をおこない、タネを更新して来たといわれます。

黒粟とよばれる特に大切にされている粟。
栄養価が高いと信じられ、産後に食べるという。

特に、紅藜とよばれるキノアに似た在来作物は、台湾にしか存在しない固有種で、細々と原住民が受け継いで来た植物なのですが、近年の健康ブームで復活始めていると聞き、パイワン族やルカイ族が多く居住する屏東の霧台、神山、瑪家、茂林郷を訪ねました。

山地門からさらに一時間、山奥をどんどん上っていきます。


今回の調査では、屏東科学大学植物学研究室の周先生をはじめ、食品科学研究室の黄先生、卒業生のパイワン族で瑪家郷出身のマワリフさんに現地語の通訳とコーディネートをしていただき、大変お世話になりました。

パイワン族の村での聞き書き

まずは、マワリフさんの故郷瑪家郷へ。

パイワン族はとても興味深い社会構造があって、最初に生まれた長子が男であっても女であっても代々直径の長子の家系が階級では一番上となる階級社会。家族ができると、名字を継ぐのではなく、新たに家名をつけます。家長が兄弟たちにのれんわけをしていくのです。

面白いのが、その長子のことをブサムBusumといぶのですが、種子のことも同じ「ブサム」という用語をつかうのです。つまり、パイワン族にとって、タネは始まりを意味する一番重要なものだということ。

階級が一番上の統目は、女性なら「公主」とよばれ、現・瑪家郷の統目、公主は集落の土地を始め、天地の半分を所有するといわれるほど強い権限を持っているそうです。公主にあうときは、まず、家名を名乗り、父と母、祖母の名前を名乗ります。そうすると、どこのだれで、土地がどこにあって、職業や家族構成までわかるのだそう。ジョークのようなお話ですが、鶏が歩いていても、公主はどこの鶏かわかるといいます。

公主の家にて種取りのお手伝い

紅藜(ホンリー)のたねとり
タネがかなり細かく、選別は根気のいる手作業
まちなかにも空き地があればいたるところに紅藜が植えられている

多くのパイワン族が平地に移り住む中、マワリフさんのおじさん、おばさんは、いまも山中にある旧集落で、畑作をされていました。紅藜の畑に連れて行ってもらいました。

山中にある旧集落は、石板屋とよばれる石で建てられたスレート建築。2部屋あり、1部屋が厨房、1部屋は寝室、客室は野外になっています。石のベンチがお客さんが座る場所で、日本と同じように客間に入る前に靴を脱ぐ習慣があります。家の外なら気兼ねなく夜遅くまで飲むことができるのだそうです。

さらに山へ。石板屋づくりの出作小屋


獣の骸骨が・・・?!

紅藜の収穫は春が4月~6月。ちょうど訪問したのが4月だったので紅藜の収穫まっただなかでした。収穫期がかぶらないよう、ちょっとづつ時期をずらして植えられていました。花は黄色、紅、オレンジ、白、黒と、彩りが美しく、石板屋の裏の畑を彩ります。




家庭によっては、紅のみを選抜して栽培しているところもありましたが、色彩豊かな種を保存する理由を聞いてみました。

白、黄色、橙はご飯として食べる用、
黒は特に栄養が高い。
紅色は酒づくりにつかう。
また、服の色にあわせて髪飾りにもなります。

藜の葉は野菜に、茎はお茶に、そして籾殻はサポニンが含まれていて洗濯に使われることもあります。かなりいろんな用途に使われているようでした。

紅藜の葉は野菜としても販売される

さらに、紅藜はほかの雑穀に比べて脱穀しやすく、野生に近いため栽培も手間がかからずほぼ放任でき、年3回収穫できるという救荒作物なのでした。

昔たべられていた台湾固有の在来種であるタイワンアブラススキや、陸稲、キビが姿を消す中、紅藜はほそぼそと家庭で受け継がれて来たのでした。


とあるタネ仲間の依頼で頑張ってさがしたアブラススキ。現地語でラルマイ(ルカイ)またはルマガイ(パイワン)といいますが、中国語名の油芒では通じません。
以前は、お米のかわりにたべられていたそう。

 右がたかきび、左がアブラススキ。


紅藜は日本ではまだ知られていないのですが、いまや、その高い栄養価が注目をあび、ヨーロッパからも依頼がはいっていて、値が高騰していて、どこの家庭でも藜を作るようになっていました。
南米のキノアは安く、紅藜として台湾で売られている商品も、多くは輸入品で、なかなか手に入らなくなっているといいます。

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紅藜の食べ方。
ご飯と炊く時は米1カップ(200cc)に対して、藜を5g(ペットボトルのキャップ1杯が約5g)まぜて一緒に炊く。
チナブ(原住民のちまき)や愛玉(オーギョーチ)にまぜてたべることも。
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パイワン族の植物利用の知恵

粟や藜の栽培の他、お庭には、たくさんの植物が植えられていました。


チナブの葉

月桃

月桃はゴザや籠づくりにつかわれる

苧麻も儀式のかざりに使われる。
紅藜は、粟やタロと同じ栽培時期だということもあって、混作されることも多い。


こちらのおうちはトウモロコシと紅藜の混作



ランチは、瑪家榖倉という原住民族の食事が味わえる瑪家郷のレストランにて伝統的な家庭料理をいただきました。

葉に包まれているのがアヴァイとチナブ

原住民の村を調査していると、日本語で話しかけられることがあります。頭に入れておかないといけないことは、日本統治時代に、同化政策をやっていて、日本軍とともに戦ったという人も多くおらるということ。懐かしむように日本名を教えてくれ、昔のことをお話されるのですが、人によっては過去の捉え方は様々かもしれません。

それまでシンプルな暮らしをされていた原住民ではそれまで使わなかった外来語である日本語がそのまま現地語になっていることがあります。

たとえば、アブラススキについてきいているとき、あぶらっぽいというのを「アブラアブラ」と表現していました。油は日本軍がやってくるまではなかったのだそうです。あと、花は「ハナ」とよんでいました。

日本と共通する農耕儀礼、受け継がれて来た作物への思い。
原住民部落での交流の旅はつづきます。

次回は、36種類の粟を保存するルカイ族の「粟の家」へ。

参考サイト
瑪家部落(瑪家穀倉)
https://www.facebook.com/makazayazaya


※「先住民」を使うように言われることがありますが、台湾で使われている現地語を尊重し、ここでは「原住民」と記載しています。
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