2017年5月3日

ならいごとの旅 in 台湾(12)ルカイ族の種取りと発酵に学ぶ民族の知恵

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二つの粟の家

屏東にある2つの「小米之家(粟の家)」を訪ねて来ました。ひとつは茂林にある天然の粟酒を仕込むルカイ族の家庭、そして、もうひとつは山地門からも近い禮納里にある災害復興支援に取り込むルカイ族のコミュニティ。どちらも偶然「小米之家」という名称で活動されていて、ひょんなことから、2つの家でステイすることになったのです。

ルカイ族の人口は約1万2千人で、大きく分けて台東に住む東ルカイ族、霧台の西ルカイ族、茂林の下三社族の3つに分けられるそうです。

36種類の粟のタネを保存しているという西ルカイ族の家庭「小米之家」がある禮納里は、3つの部落にパイワン族とルカイ族の2つの部族が共に暮らす複雑なコミュニティになっています。

というのは、88風災と呼ばれる民国88年(2009 年)に起きた大きな台風の被害により、3つの部落が壊滅的な被害をうけました。谷は崩れ、伝統的な居住区の石板屋の集落はなくなってしまいました。

台湾政府は、山に住む民に平地へ住むよう促し、もともとパイワン族能登地であった禮納里の土地に、3つの部落がともに暮らすようになりました。

3つの部落は、大社部落、瑪家部落、好茶部落、3つあわせて「大家好」(中国語でみなさんこんにちはという意味 )と呼ばれています。

小米之家は好茶部落にあるルカイ族のホームステイを受け入れている家庭で、災害復興のためのコミュニティビジネスに取り組む魯凱族産業発展協会理事長の李さんの実家。豊年祭などの祭事や婚礼時に奉納される粟を作る家庭で、禮納里の土地に移転してからは、小米祭を執り行う家なのでした。


はじめ、その協会と連絡をとっていたのですが、今回の旅をアレンジしてくださった屏東大学の先生に連れて行ってもらった先は茂林にある同じくルカイ族による同名の小米之家。禮納里の複雑に入り組んだコミュニティ構造と、まったく同名で活動されているお家が別の地域にあるという偶然が重なり、実際に到着するまで気づきませんでした。せっかく案内していただいたので1日目は茂林へ、その後の予定を1日づつずらし禮納里へ。2つの小米之家でステイすることに。


天然発酵の粟酒づくり
そんなわけで、偶然の縁でたどりついた茂林の小米之家は天然発酵の粟酒を作っているルカイ族のご家庭。残念ながら工房は山中にあり、月曜日と火曜日にしか現場にいかないとのことで、見学ができなかったのですが、昔から粟の酒をつくっているお母さんのお話を伺いました。





原住民の酒造りは、炊いた粟をメインに天然酵母で発酵をさせるのが習わしで、紅藜は発酵を促すスターターのような存在なのだそうです。街中で作ると、味が変わってしまうのだけど、水が奇麗な山で仕込むと、長く保存しても味がかわることがないといいます。


粟酒仕込み中の取材記事



畑を見せてもらうと、前日にパイワン族の集落で見たカラフルな藜とちがって、赤一色でした。なぜ、この畑には赤い藜しかないのか聞いてみると、いろんな色の藜がでてくるけれど、赤にこだわって紅色藜を選抜してきたとのことでした。赤色の紅藜は発酵によいのだと言っていました。

そこで謎なのが、麹を使っていない天然発酵ということ。屏東科学大学食品科学研究室では、そんな原住民の知恵を再現し、麹や酵母の実験をされていました。


この瓶は藜をスターターにしてパン酵母を起こす実験。ぷくぷく粟がたっていて、確かに発酵臭がしました。藜を加えずに、粟だけでもできるのか、次回は粟だけでやってみたいとお話してくれました。


原住民の酒は味が変わらないらしいとお話しすると、研究員の方も、実験室でも酸味が出てしまうのに、と驚かれていました。


「もしかしたら、その場所で長年かけてよい発酵をしたものを残し、悪い発酵のものを取り除いて来た積み重ねの歴史ではないか。そして山の中にある環境がすでにバランスのよい菌の生態系ができているのでは?」と研究員の小昱さん。

タネと同じで選抜を繰り返して来たからこそできる天然発酵。歴史がなければできない受け継がれて来た知識の結晶かもしれません。

ちなみに、麹には、いろんなタイプの麹があり、中国や台湾の伝統的な麹の作り方で、草をスターターにして採集する「草麹」とよばれる麹があるそうです。

台湾の餅麹



36種類の粟を保存する家


2日目は、禮納里にある災害復興支援に取り込むルカイ族のコミュニティへ。


<禮納里の町の構成>
大社部落 (パイワン族)174戸
瑪部落 (パイワン族)132戸
好茶部落 (ルカイ族)177戸

ルカイ族が住む好茶部落では、177戸のうち約30が「接待家庭」に登録しており、ホームステイを受け入れています。これは災害復興のひとつとしてはじまった交流プログラムですが、かなりすごい受け入れ率でまちづくりの勉強にもなります。




好茶部落では、愛称をこめて「脫鞋子部落」と呼ばれていますが、石板家の習慣では、玄関の前にある軒下のスペースが客間。石のベンチは、お客さんが座る場所です。

この協会には15名のスタッフが勤務していて、出身も、アミ族やルカイ族、パイワン族、平埔族とばらばら。どこからともなくギターをもって登場するむらびと、そしてスタッフの方が歌と踊りで歓迎の儀式をしてくれました。







協会の本部としてつかわれているのが、36種類の粟を保存するという「小米之家」でした。

小米之家は、結婚式や豊年祭で使う粟を生産する家庭。台風の被害のあとも、このおうちで祭祀を執り行うといいます。


理事長の李さんが説明してくれました


ここの老夫婦は、収穫前の1ヶ月は、畑の簡易宿所で泊まり込みで作業しているそうです。出作小屋が居住地から離れた場所にあって、収穫期は泊まり込みで農作業にあたるところはブータンに似ています。

私が訪問した時期は、ちょうど粟とタカキビ、紅藜の収穫時期だったので、おうちにはおられず、翌朝、スタッフの方が車で迎えに来てくださり、畑に連れて行ってくれました。


畑につくと、粟と紅藜がずらりと、美しく束ねられていました。




これまでに訪問した農家さんと比べてもかなり丁寧な仕事をされています。
祭祀用の作物をつくるということがどれほど根気のいる作業かがわかります。

おとうさんは少し日本語をお話しになりました。







「私たちのこと忘れないでよ。またきてよ。ほんとよ、きっとわすれないでよ。」

がっしり手を握り、熱い目で語りかけてくれたおばあちゃん。
ほんの1時間ほど一緒にいただけだったのに・・・。
なんとあたたかいひとたちだろうか。

芸術による被災地復興



異文化の背景をもつ3つの部落のひとびとが共生するこのまちで、各地からあつまったアーティストたちが災害復興支援にとりくまれていました。
壁画の作品がまちのいたるところに展示されていたり、木工作家や画家、芸術家が工房を構える。


開展準備中の紅藜の物語館



部落入り口にある生活工房の一角で、特に印象に残ったのが、大社部落のイーサン( Ethan Pavavalung)の工房。
自然をモチーフに原住民の精神性や文化を表現するアートが特徴的で、壮大な宇宙観を感じました。

霧台行きのバスをまっている間の少しの時間でしたが、お父さんが作られたというパイワン族の笛を演奏してくれました。越後大地の芸術祭にも出展されていて、来年も日本に来られるそうです。
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1 件のコメント :

  1. 中村真一2017/05/03 12:59

    粟酒どのような味ですか?ハチミツで発酵させたミードはつくったことあるのですが。台湾らしいあざやかな織物ですね。

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